どうしようかねぇ。

方向性の定まらない雑記帳

世界を革命する力を手に入れるために

 悲しみ、苦しみは人生の花だ。悲しみ苦しみを逆に花さかせ、たのしむことの発見、これをあるいは近代の発見と称してもよろしかも知れぬ。
坂口安吾「悪妻論」

堕落論』(角川文庫)p.182

 

これから『少女革命ウテナ』を観た事がない人に向けて、どうしてウテナを観てほしいかを伝えたいと思っているのですが、次の項目に当てはまる人には特に声を大にして伝えたい。

 

ジェンダーに縛られて生きることに嫌気が差している人

・「自分」というのがよく分からない人

・気高さを持って素直に生きたいと思ってる人

 

これらに1つでも当てはまる人には99.9998%の確率で刺さること請け合いなので、「あっ、私これだわ」って人は今すぐツタヤでDVDを借りに走るか、もしくはバンダイチャンネルに登録して課金してください。

 

少女革命ウテナ』はもう20年も前の作品なのに、ストーリーが全く古びないどころか、現代日本社会との比較によってますます輝いて見える、物凄い作品なんです。

 

 

主人公である天上ウテナは、「守られるお姫様じゃなくて、かっちょいい王子様になりたい女の子」である。

幼い頃に両親を亡くしたウテナは、旅の王子様との出会いによって救われ、王子様に憧れるあまり自分が王子様になることを決意した過去を持つ。

 

そんなウテナが中学2年生の時のお話。

ウテナはある日、親友が片想いをしている男から手酷い目に遭わされた現場に立ち会ってしまう。居ても立っても居られなくなったウテナは、その男(西園寺莢一、剣道部主将)に決闘を挑んでしまう。剣の道を極めんとする男よりも気高いウテナの"王子様性"が垣間見える。

 

決闘の会場として指定された場所に行くと、そこには西園寺と一人の女の子が。

ウテナは更に驚くべきことを知る。

西園寺を含めた生徒会メンバーが、決闘によってその女の子をやり取りしていたのだ。*1

そんな野蛮なことは絶対に許せないと、ますますヒートアップするウテナ。相手は剣道部主将。押され気味のウテナであったが、決闘の最中に突如ウテナに"王子様"が乗り移る。辛くも西園寺を下したウテナの元に、決闘によってやり取りされているという「薔薇の花嫁」を名乗る女の子が現れる。

ウテナと「薔薇の花嫁」の二人の寮生活が始まるのだが、そんな二人に次々と「薔薇の花嫁」を手に入れんとする生徒会メンバーが決闘を挑んでくる。

ウテナと薔薇の花嫁の運命や如何に。

 

という筋書きである。*2

 

従順で常に自己を殺し続けている一人の女の子を巡って女の子の意思とは関係なく奪い合う男たち(実は生徒会メンバーには女性もいるのだが)から女の子を守り抜こうとするウテナ。*3

ウテナは同時に、女の子の心を開いて自己を持った一人の人間として振舞ってほしいと、女の子自身に何度も何度も何度も伝えるのだけど、なかなか届かない。

 

自分を殺し続けてしまった人間に、自分を取り戻させようとするのはめちゃくちゃ辛い。助ける側も、助けられる側も。だって、自分を持つことがあまりにも辛いから自分を殺すことを選んだ訳だから、自分を取り戻すことは即ち自分を殺すことを決意させた痛みをも取り戻すことになるのだ。

 

また、メインの脚本家である榎戸洋司は、ある番組のインタビューでこのようなことを言っていた。

 

「女の子には主に二つの道しかない。一つはお姫様になる道。そして、お姫様になれなかった女の子には魔女になる道しかない。」

 

お姫様ではなく、魔女でもなく、王子様になる道を選んだウテナ

自分を殺してしまった「薔薇の花嫁」アンシー。

 

ウテナとアンシーが引き合い、反発しあいながらどのような救済を迎えるのか。

 

是非、アニメ本編を観て!!!!!

そして観るときは是非ツイッターで実況して、あなたの世界が革命されていく様子を観察させてください。

 

 

 

 

ーー☆ーー☆ーー

 

*1:この辺りの設定、イヴ・セジウィックの「ホモソーシャル」の概念を知っている人にはゾクゾクくるのでは。

 

*2:なお、かなりの部分を端折って書いたのだが、直前3段落分がほぼ第1話の筋書きである。お気付きの通り、一話一話の内容がめちゃくちゃ濃い。濃いのだが、ほぼ一話完結型なのでサクサク観れてしまう。全39話、観始めてしまえば最初に思っていたよりもすぐに観終わってしまうこと請け合いである。

 

*3:この設定、『マッド・マックス 怒りのデスロード』のフューリオサそのものじゃないですか。(マッド・マックスは実質ウテナ